PROFILE
アニマルコミュニケーター
レイキヒーラー
ひなぼん(藤原和恵)です♡
私の今までのワンコとの暮らしと、アニマルコミュニケーターになりたい!と思った気持ちを見て頂けたら嬉しいです。
コミュニケーターになろうと思う前にも、不思議なことが色々ありました。
私は元々動物が好きで小さい頃から家には犬がいました。
結婚してからも犬と暮らしたいという夢が忘れられず、家の近所の小さなペットショップからシーズーの子犬を迎えました。
可愛くて可愛くて、いつも私の手や顔をペロペロ舐めるので、女の子だったけど「ペロちゃん」と名付けて一緒に暮らしました。
ワンコとの生活は毎日とても楽しかった♪
ペロちゃんのおかげで、私の生活も変わりました。
ペロちゃんはシーズーだったので、毎月のようにトリミングに行っていました。
トリミングに行く度に、ボサボサだった姿がスッキリとフワフワになって帰ってくるので「私も自分でやりたいな」と思うようになりました。
そしてトリミングの専門学校に2年間通い資格を取り、トリマーとして働き始めました。
毎日大好きなワンちゃんと接する仕事はすごく楽しかったです。
専門学校で犬の繁殖の勉強もしていたので、ペロちゃんの赤ちゃんが欲しくなりました。
そしてペロちゃんは結婚して3匹の赤ちゃんを生みました。
男の子ふたりと女の子ひとりでした。
男の子ふたりは、素敵なお家に養子に行きました。
そしてわが家もペロちゃんの子と一緒に親子で暮らしました。3月3日に生まれた女の子だったので「ひなちゃん」と名付けました。
ペロちゃんとひなちゃんはとても仲良し親子で、いつもくっついていました♪
毎日楽しく幸せに暮らし、ペロちゃんは天寿を全うして16歳でお空に行きました。
その後ひとりになったひなちゃんだったけれど、ひなちゃんとの生活はそれはそれは楽しくて幸せでした♡色々な所に一緒行って、ひなちゃんのおかげで大切な友達もできて素敵な出会いもたくさんありました。でも、ひなちゃんは病気になってしまいました。最初は乳癌、手術したけれど数年後に転移して肝臓癌…
でも、ひなちゃん本人はとても元気で、食欲旺盛で走り回っていました。
病院で色々な検査をすると、もう寝たきりになるくらいの数値なのに、ひなちゃんはケロっとしていて担当医の先生をいつも驚かせていました!
ひなちゃんが13歳の時、縁あってダックスのちゅらちゃんを保護犬として迎えました。
私は、また楽しくなるなぁと思って「ひなちゃんとちゅらちゃん、これから仲良く暮らしていこうね」と喜んでいました。
ひなちゃんとちゅらちゃんは仲良く過ごしていましたが、ちゅらちゃんが来てから2週間後ひなちゃんが急変しました。そしてそのまま静かにお空に行きました。
ちゅらちゃんが来てからたった2週間…
その時思いました。
ひなちゃん本人は元気だったけれど体は癌に蝕まれ、自分でもうお空に行く時が近いとわかり、ちゅらちゃんを連れてきたのではないかって。
自分が旅立ったあと私が寂しくないように、ちゅらちゃんをわが家に連れてきてくれたんだと思いました。
ひなちゃんによく似た食いしん坊な元気いっぱいの女の子でした。
それからまた縁あって迎えた保護犬のはなちゃん。シーズーの女の子。
『ちゅらはな』として仲良しコンビになり、ベッドはふたつあるのにいつもひとつのベッドでくっついて寝ている仲良しさんでした。
そんなふたりと、私も毎日幸せでした。
8年くらい一緒に暮らしたけれど、ちゅらちゃんが病気でお空に行きました。
体調を崩し、肺炎と診断されてから3日で急逝してしまいました。
ちゅらちゃんが亡くなった時 私も心を半分失ってすごく弱い人間になりました。
ひとりになったはなちゃんもすぐにいなくなってしまうんじゃないかって怖くて、すごく心配性の過保護になりました。
はなちゃんの事がすごく気になっていろんな事が心配で、寝てるのに『生きてる⁈』なんて顔を覗きこんだり…
気分でご飯を食べない時はもうパニック!
『ご飯食べない!食欲ないのかな!具合悪いのかな‼︎』ってもう泣きそうになる。
一時期はなちゃんの体重が少しずつ減っていく時がありました。
後になって考えたらそれは老化によって、筋肉が落ちてきた事と食ムラとも重なって体重が落ちてきてしまっていたようでした。
弱気な私は 食べずに体重が減っていくはなちゃんを見ていたら、このまま衰弱してどんどん小さくなって消えてしまうんじゃないかって悲しくて怖くて毎日涙ばかり出てました。
そして「なんでもいいから食べて!」って冷蔵庫から次から次に色々な物を出してはなちゃんの前に置きました。
でも 食べてくれない…
シニアだから嗅覚が鈍ってるのかもしれないと思って、ご飯を温めてスプーンで口元に運びました。
そうすると食べてくれる。
でもそれでも暫くすると食べなくなる…
ちゅらちゃんがいなくなって寂しいのかなと思って、気晴らしに散歩に出ても走ってすぐに家に帰りたがる。
ご飯もあまり食べないし、弱々しいはなちゃんを見ていたら悲しくて辛くてどうしたらいいかわからなくなりました。
そんな時 救いの手が伸びてきました!
ある人にアニマルコミュニケーションではなちゃんの気持ちを聞いてもらいました。
「わたし、具合なんか悪くないよ。ご飯は食べない時は欲しくないだけ!食べたい時はちゃんと食べるわよ」
「シニアだけど嗅覚はまだまだ大丈夫よ!温めなくてもいいんだけど…」
「わたし、おうちでお留守番してるのが好きなの。お出掛けはあまり好きじゃないわ。放っておいてくれて大丈夫よ!」って あっけらかんと言っているんだって。
それを聞いたら私、すごく気持ちが楽になりました。
はなちゃんの性格もあったんだ。
元々そんなに食いしん坊じゃないし、活発でもない。
のんびりまったりが好きなんだ。
そしてはなちゃんがその時言っていたのは「ママに私の気持ちが通じて良かった♡わたしホッとしてる」って。
はなちゃんも、自分の心配ばかりしているママを心配していたんだって。
私もはなちゃんも、お互いに相手を思いすぎて心配し過ぎていたみたいです。
それから2年、はなちゃんは食欲を取り戻し元気になり、私もそんなはなちゃんと一緒に元気に楽しい毎日を過ごしました。
でも、体調を崩した時に飲んでいた薬の影響か、はなちゃんの体調が次第に乱れていき、食べても食べてもまたどんどん痩せていくようになりました。元気だったときは8キロくらいあった体重が5キロになり3キロなになり、とうとう2キロ代になりました。
食べても全く栄養を吸収できない状態になってしまっていたようでした。もうその頃のはなちゃんはガリガリで骨と皮でした。
もちろん、体力なんて全くなく、起き上がる事もできなくなりました。でも食欲だけはあり、ご飯を顔の前に持っていくと、ぐったりしながらも口をもぐもぐさせてベロを一生懸命動かして流動食のようなご飯をスプーンから食べてくれました。
私は抱っこして頭を支えながらご飯を口に入れてあげました。
美味しそうに食べるはなちゃんのお顔を見る時間はすごく幸せでした。
そのはなちゃんも今はお空にいます。
最後も食いしん坊を発揮して、もう動く力もないのに口元にシュークリームの甘いクリームを持っていったら美味しそうに舐めて、そして満足そうに旅立ちました。
目に見えない不思議な力。
癌に負けないひなちゃんの元気さ
私のためにちゅらちゃんを連れて来てくれた事
はなちゃんと通じ合えた時の喜び
通じ合えたあとのはなちゃんのパワー
…今思い出してもドキドキします
私がアニマルコミュニケーターになりたいと思ったのは、あっけらかんとしたはなちゃんの言葉を聞いた時でした。
はなちゃんと通じ合えたことで、はなちゃんも元気になった時でした。
通じ合うって大切だと心から思いました。
みなさんにもぜひ感じてほしいと思います。
そして私は今、新しく家族になったシーズーのななちゃんと暮らしています。
ななちゃんは以前、劣悪なブリーダーのところから保護されたワンコです。
4歳になるまで幸せを知らずに育った子でした。わが家で、家族の温もりや人の優しさ、たくさんの楽しいことを知ってほしいと思っています。
全ての動物さんにずっと幸せに過ごしてほしいと願います。
ご覧いただきありがとうございました。
CREA認定アニマルコミュニケーター
CREA認定アニマルコミュニケーション講師
西洋レイキヒーリング1st・2nd・3rd修得
カコトリミング・トリマーA級取得
アニマルナース資格取得